最近休日にやることを求めて新しいことをはじめている。
といっても、SNSなどでの人を募集しているところに参加をしてみたりなど
コミュニティを広げるような活動になる。
最近行った飲み会だと、食肉工場で働く人や、宮大工、写真家や
看護師さんなど、様々な職種の人と話すことができた。
看護師さんに関しては買い物中毒的な行動をしていたので、
ちょっと心配になった。
ただ、クレカの支払いが10万ある、みたいなのは感覚としては
業界の人の収入からすれば払えるレベルなので、何とか回っているのだろうなと
そういう印象を受けた。
そういう意味ではその場、その場の話で深く込み入った話はしない。
2次会で伝統工芸士の人と話をしていたけど楽しそうな暮らしを聞くだけだった。
自分とは違い圧倒的に行動量の多い面白い人だった。
めっちゃ話すし、人柄もいい。それが表情にも出ている。
自分はただ笑ってるだけだったなーと、今思うと感じる。
後、無職の人は居なかった。
Fireしてます、みたいな人がいたらありがたかったのだけど
よく考えるとそんなリスクの高い発言するわけないし、来ないだろう。
自分が死ぬまで生きるとして、きっと今の仕事に打ち込んでいくことが
社会的には正しいことなのだと思う。
ただ、平日は会社に行き12時間拘束されて、残りの8時間は睡眠をして
4時間を思い思いの過ごし方をする今の生き方が正しいかと思うと
それも違う。
結局シンプルな形でどうしたいのかを考えると、
働く量を減らして、責任も減らして、それでも社会の一員でいたいと、
それに尽きる気がする。
余った時間は、動画だったりゲームだったり非生産的な活動に
消費されるのだけれども、「何かをしなければいけない」、
「何かをしてはいけない」といった制約から切り離されることは
心理的な開放感が大きい。
心理的な開放感は、それだけ自身が必要とされていないという
自己肯定感の低下にも繋がっていくので、他のコミュニティだったり
自分自身の考え方なりで、職を失うことによるデメリットを帳消しに
するだけの準備を事前に備えておきたい。
まぁ、あれこれ考えて5年以上行動している時点で勢いだけでやめる人とは
心の持ちようが違う気もするけども。
一つ言えることは、明日、会社を辞めてもきっと自分は後悔しない。
ということだろう。